かいもん4号のホームページ GALLERY 富山港線
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富山港線です。 富山市内を走る全長わずか8キロのローカル線、富山港線でしたが、2006年2月28日限りでJRとしての運行終了。 4月末からは「富山ライトレール」として運行されています。 地元・岡山の吉備線も同様の構想があり、先行した富山港線の動向が気になります。
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2006年2月
1980年7月

2006年2月

「岩瀬浜駅」。 2006年2月26日追加

富山港線の終点、岩瀬浜駅です。
駅のホームからは「富山港」や「岩瀬浜」は見えません。 が、後ろの住宅の向こうはすぐに海で、左手は工業地帯と富山港、右手に行くと岩瀬の海水浴場が広がります。 列車の後ろ側では、すでにライトレールの工事が始まっています。

「城川原駅」。 2006年2月26日追加

線内唯一の交換設備を持ち、以前は電車庫もあった城川原駅です。
短い路線の富山港線ですが、朝夕の30分間隔運転時は、ここで列車交換が見られます。

「城川原駅」。 2006年2月26日追加

富山ライトレールへの転換に合わせ、記念に国鉄急行色に戻された2編成の475系。 城川原駅で交換です。
JRにて予告のラストサンデー2月26日、最終28日のほか、訪れた25日も全列車電車で運転されました。 本当は昼間の気動車も見たかったのですが。

「475系」。 2006年2月26日追加

国鉄色、大目玉ヘッドライトと往年の姿の475系です。 表示窓のカバーは急行「立山」時代から取り付けられており、大目に見ることにしましょう。 JR九州の塗装復元車と異なり、付随車クハも60Hz仕様の裾クリーム帯になっています。 やはりこの塗装がスマートで一番好きです。

「富山駅」。 2006年2月26日追加

富山駅で折り返し発車待ちの475系電車です。 車齢が高いため、富山港線廃止後の去就が気になります。 2編成連結で、臨時「立山」なんかで運転されないでしょうか。

「ありがとう」。 2006年3月5日追加

475系電車に取り付けられた記念ヘッドマークは、立山をバックに「ありがとう富山港線」の文字です。 末期の「立山」と同じくらいのサイズで、好感の持てるデザインでした。

「城川原」。 2006年3月5日追加

城川原駅の横に設置された検車庫です。
まだまだ工事の真っ最中でした。 低床路面電車タイプなのに、なぜ足場がこんなに高いのか、よくわかりません。

「城川原」。 2006年3月5日追加

城川原に停車中の上り電車です。
天気もよく、最後の連休とあって客足はまずまずです。

「岩瀬浜駅」。 2006年3月5日追加

岩瀬浜駅で折り返しの発車時刻待ちです。 ライトレールのホームは、後ろの工事中の場所になります。 JR廃止は残念ですが、2ヵ月後に期待したいと思います。

1980年7月

富山港線「城川原駅」。 2006年3月12日追加

富山港線・城川原駅、1980年夏です。
交流電化の北陸本線に対して、富山港線は直流電化。 当時は旧型国電が活躍していました。
城川原駅は、2面3線の駅でした。

富山港線「富山駅」。 2006年3月12日追加

富山港線の当時の車両は旧型のクモハ73+クハ79。 旧型国電と言いながら配属車両は末期に製造の全金製が多いのが特徴でした。
特に、このクハは全金試作の雨どいの出ていないタイプです。

富山港線「城川原駅」。 2006年3月12日追加

城川原に到着の旧型国電です。
交流の北陸本線エリアに乗り入れることができないため、この城川原駅に富山港線用の電車庫があり、折り返しやこの駅止まりの列車もありました。

「クモハ40」。 2006年3月12日追加

城川原の車庫に留置されたクモハ40です。
職員の方によると、7月末の訪問の前日の運転で引退したとのことでした。
残念でしたが、当時の情報量と情報力はそんなものでした。

「城川原」。 2006年3月12日追加

城川原で休む73系電車です。
短い路線なのに、随分とたくさんの車両がいる感じでした。 路線長さからすると9両は過剰な感じです。


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