2012年10月再訪 宮崎駅。 2012年10月某日です。 業務出張の終了後翌日(休業日)、早朝未明の宮崎駅から、日南線の始発列車に乗車しました。 車両はお馴染みJR九州色のキハ40タイプです。 (この写真は車両が違いますが、日豊本線の別の列車です。同じ場所時刻と同じ車両のタイプを雰囲気だけ、ということで。) 早朝の下り列車ということで、宮崎からの乗客は僅かでした。 終点・志布志駅(途中は写真なし)。 宮崎から終点志布志まで80キロ余り。 この始発列車は、途中長めの列車交換の停車が何度かあることもあり、3時間以上かけて走ります。 本日はのんびりと肉眼で車窓をトレースする旅、ということで、終点までカメラは扱わないことにします。 (いつもの単なる横着、とも言えますが。) 日南線に乗車したのは3度目。 とは言え、前回乗車してからすでに20年以上になります。 日南海岸側は何となく記憶の中にあった風景が蘇ってきましたが、志布志に向けて山を越えるあたりは、「こんなに山の中だったか?」という印象でした。 志布志駅。 今ではほとんど単行列車が折り返すだけのため、1面ホームの無人駅になってしまった志布志駅です。 駅舎も非常にこじんまりとした造りの無人駅。 しかし観光案内所を兼ねた建物に改築されており、植込み花壇の花をはじめ、手入れは非常に行き届いた感じでした。 駅前風景2012年。 さて、駅に降り立ち外へ出てみると・・・。 これは大層な様変わりです。 もともと3路線が発着し、駅旅客部分以外にも広い貨物線があった志布志駅構内。 今ではご覧のように、日南線から真っ直ぐ伸びる形で、広い道路が伸びています。 現駅舎を背にしたこの目の前あたりが、かつての志布志駅、だったはずです。 志布志駅舎。 現駅舎は志布志観光案内所として近年建て替えられたため、こじんまりとした造りで、国鉄駅の風格は全くありません。 更に都市計画による道路拡充のため、駅舎の位置も数十メートル宮崎側に移設されています。 何もかもが目新しい志布志駅前ですが、鉄道駅だけでなく町全体が様変わりしています。 日南線の風景を延々見慣れた目には、志布志の町が遠く視界に入ってきたときから、あっと驚く大きな町に映りました。 これだけの規模の新しい町なら、志布志線も大隈線も廃止にならない方法があったんじゃないか?と思えて仕方ありません。 鉄道記念公園。 志布志駅から新しい通りを5分ばかり歩いたところにある「鉄道記念公園」です。 駅前の観光案内看板にも表示されていたため、ちょいと足を進めて見ました。 いかにも南国宮崎、といった感じの(志布志は県境を越えてすでに鹿児島県ですが)景色の、広々とした公園です。 鉄道記念公園。 公園に近づいて見ると、こんな表示(モニュメント?)が。 とりたてて目新しいものでもありませんが、志布志線と大隈線の路線が表示されているのがポイントでしょうか。 ちなみに「志布志駅」は表示されていますが、日南線は記載されていません。 やはりこれは廃止路線の記念公園のようです。 鉄道記念公園展示車両。 現志布志駅方面から公園に追加づいて真っ先に気がつくのは、高くそびえた腕木式信号機と、その下に鎮座した蒸気機関車です。 近づいて見ると、C58型C58112号。 最後はこの志布志機関区で活躍していた機関車です。 ちょうどこの鉄道記念公園が、志布志機関区のあったあたりになります。 説明案内板。 C58112号機の案内板です。 「煙が出るやつ」に関して薄学の私の細かい説明よりは、まず写真をご参照ください。 展示車両全容。 反対側はホーム風の造り。 そしてC58の後ろ側には、車掌車と気動車が1両ずつ配置されています。 「鉄道記念公園」とありますが、どちらかというと「公園」部分は、この車両たちの左手の広めのバックヤードかもしれません。 いずれにしても、相当広い敷地ではあります。 蒸気機関車。 完全に逆光なのですが、順光側には足元にホームがある。 ということで、動輪を含めた観察はこちら側から、ということになります。 やはり蒸機はホームの高さからよりは、線路からの高さのほうが、眺めて楽しい角度です。 保存気動車。 C58の反対側から眺めた気動車です。 昔の国鉄色の両運転台気動車が、綺麗に塗りかえられたいでたちで鎮座していました。 保存の方によりこまめに手がいれられているようで、保存状態は上々です。 保存気動車。 全国どこでも見られたスタイルの気動車。 しかし一番最初にこの日南線や大隈線を訪れたときの列車は、全部古いキハ10系だったように記憶しています。 半透明の明るい上屋根に覆われており、非常に好ましい保存状態かつ展示状態でした。 キハ52。 さて、遠目にはキハ20かなと思われた展示の気動車ですが、近づいて見ると、ダブルエンジンの勾配線用強力形、キハ52でした。 改めて眺めて見ると、確かに客扉間の窓が6つある、キハ20よりは長いスタイルです。 日南線と大隈線は、低いサミットはあるものの基本は海岸沿いの路線ですから、一番縁があったのは志布志線でしょうか。 もっとも宮崎・鹿児島あたりでは、肥薩線や吉都線で活躍していた印象の方が強く残っていますが。 車掌車。 展示車両のもう1両は、車掌車です。 といってもこちらは他の2両と比較すると比較的新しい、ヨ8000です。 広い構内にぽつんと貨車や車掌車が1両留められている、というのもローカル線の貨物駅で見られた風景で、懐かしい感じです。 志布志駅正面風景。 本当は、この志布志駅で折り返し列車を1本見送り、旧大隈線や志布志線の廃線後を歩いて巡ってみようかとも思っていたのですが、何しろ駅前のあまりの様変わり。 これでは廃線後らしき遺構にたどりつくまでにどれだけ時間がかかるかわからない。 ということで、駅前と鉄道記念公園の小散歩だけで、再び宮崎に折り返すことにします。 志布志駅前は、整備された広場と花の綺麗な花壇です。 但し、送迎の車は殆ど入ってきません。 まもなく発車時刻なのですが。 観光案内所。 志布志駅は終着駅ながらワンマン運転の無人駅であり、改札で切符を切るわけでも回収箱が置いてあるわけでもありません。 が、一応出口の造りは駅改札風にはなっています。 但し、頭の上の表示は「志布志駅」ではなく、「志布志市総合観光案内所」でした。 (もっとも、上の写真のように駅舎外には大きく「JR志布志駅」と表示はされています。) 志布志駅構内。 乗客用ホームは1面1線だけですが、線路はこのようにもう少し残っています。 以前は向こう側の広い敷地に、沢山の線路が敷かれ、気動車のほか貨物列車が行き来していました。 元々構内の外れ近い場所に設けられた現在の駅。 ですからホームの向こう側は、マンションやら何やら建てられています。 落ちぶれた感じがするのは、ホームのロケーションのせいもあるのかも知れません。 駅名標。 ホームに立てられた駅名標。 色あせてしまっており、駅舎や駅前とは対照的に、あまり手が入れられていない様子が寂しさを誘います。 それよりももっと寂しいのは、隣の駅の駅名が片側しかなくなったこと。 以前は反対側に、志布志線と大隈線の両方の駅名が入れられていたのですが。 折り返し列車。 さて、折り返しの列車です。 現在の志布志駅、客扱いできるのは、幅の狭い片面のホームが1面だけの行止まり駅です。 もちろん昔はここで線路が途切れることなく、この先志布志と隼人を目指しずっとずっと続いていました。 実際にはこの先に駅があったわけですが。 というより、現在のホームは駅外れの引込み線的配置の部分であり、本線はこれより写真奥側あたりでした。 気動車サボ。 この単行列車、早朝の宮崎から到着した後は、折り返し南宮崎行きとなります。 現在、日南線の列車は宮崎でなく南宮崎発着のものが多くなっています。 宮崎駅のホームが2面4線で不足するからでしょうか。 宮崎〜南宮崎間では、宮崎空港発着の特急に乗車券だけで乗車できますし、元々日南線の列車がさほど多くない。 とは言え、始発の都会側の一駅間。 通して利用するお客が多いため、乗換えが面倒なのは否めません。 行き先表示のサボは、「手数がないから志布志では入れ替えないよ」と宣言しています。 途中駅で上りか下りか間違うお客はいないでしょうか。 そういえば以前、山陽本線の岡山地区の普通列車で、同様或いはこれ以上に複雑怪奇な表示のサボが見られたことがありました。 さすがに複雑すぎて悪評で、その後見られなくなりましたが。 終点・南宮崎駅(帰路も途中は写真なし)。 帰路も途中では特別カメラを構えることもなく、列車の終点・南宮崎駅です。 通勤通学の時間帯ではありませんが、始発の末端区間はともかく宮崎に近づくにつれ、多少は乗客も増えてきました。 こうなると1両ではややきつめで、たち客もちらほら、といった感じの乗車率でした。 もっともボックス4人づつきちんと座れば、全員座れる人数ではありましたが。
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