<INDEX> 2019年2月乗車 2008年11月再訪(乗車なし) ↓ ↓ ↓ 最新の追加・リニューアル ↓ ↓ ↓ 2021年5月1日 2019年2月再訪 に 一部追加 ↑ ↑ ↑ 最新の追加・リニューアル ↑ ↑ ↑ 2019年2月再訪 起点。 南千歳駅のホーム片隅にある、石勝線の起点0キロ表示と開業記念の石標です。 札幌方面から道東帯広・釧路方面に向かうのに、従来の滝川・富良野経由から新線経由で大幅に短縮化されました。 当時、ここ南千歳駅は「千歳空港」駅。 旧千歳空港ターミナルビルと直結した、鉄道と空路が直結された当時としては日本では画期的な駅でした。 折返し列車。 さて、本日は間もなく廃止される夕張支線の列車に乗車し、夕張駅まで往復しようという企画です。 夕張支線は現在では石勝線の支線という位置づけで、石勝線の起点は隣の南千歳駅、つまり昔の千歳空港駅です。 しかしながら普通列車はここ千歳駅が始点となります。 昨日は千歳駅前に宿泊し、朝方若干写真撮影の後、夕張行きの到着を待ちます。 列車は、夕張からの列車の折返しでした。 国鉄型。 千歳駅で発車を待つ、夕張行きの列車です。 写真のようにJR北海道塗装の、国鉄型キハ40の単行列車でした。 2月の3連休最終日。 ホームにはそこそこのお客が列車を待っていましたが、全員が乗車しても座れない人はいない、と言った程度の込み具合でした。 南千歳。 列車は定刻に千歳駅を発車し、次の駅、南千歳へ。 千歳線の列車。 少し前に札幌側で信号系統か何かのトラブルが発生し、若干の遅れが発生しているようです。 が、今乗車している列車は千歳市発ですから別段影響もなく、そのまま石勝線に入ります。 かつては駅名標の右側に、(旧)千歳空港ターミナルを結ぶ長い歩道橋が伸びていました。 石勝線へ。 南千歳駅を発車すると、列車は千歳線上り線の高架の下をくぐり、進路を左向きにに変えます。 単線の石勝線。 南千歳駅の線形の関係で、中ほどのホームから発着するため、一度千歳線下り線と立体交差するようになっています。 普通に考えると後から出来た石勝線の方がオーバークロスするのが自然に思えます。 南千歳駅、当時の千歳空港駅自体が石勝線開業の前年に新設された駅であることも関係しているのでしょうか。 雪原。 さて、石勝線です。 本日は夕張支線の廃止前乗車、という位置づけではあるのですが、ここ石勝線が廃止される訳ではもちろんありません。 更に、学生時代からのイメージでは、「夕張線は追分から先」という印象が強いので、「新線区間」とも言える(すでに開業後37年以上が経過してはいますが)石勝線区間では、あまりお別れ乗車的感慨はありません。 列車は雪原の中、山の中と、「何もない区間」を走ります。 駒里信号場。 石勝線としての新線区間、南千歳〜追分間。 途中に駅は設けられていませんが、その距離は17キロ余り。 列車密度が無茶苦茶高くないとはいえ、途中に信号場は必要となります。 列車は駒里信号場を通過?します。 尚、現在列車の進行向き右側の席に座っています。 西早来信号場。 次の西早来信号場。 こちらも周囲に何もない場所ではありますが、信号場だけにしては意外と立派な建物です。 そして他の駅と同じく、「駅名標」が設置されていました。 違うところは、隣の駅の表示がないくらいでしょうか。 追分到着。 列車は、「ほぼ何もない区間」をひたすら走って、室蘭本線との接続駅、追分に到着です。 駅舎もホームも、大きな駅です。 かつては機関区もあり、各地の炭鉱から夕張線経由で運ばれる石炭の専用列車を中継する、重要な駅でした。 追分駅。 追分駅のある「室蘭本線」自体はかつては北海道の主要路線。 苫小牧と札幌を結ぶ千歳線ではなく、岩見沢を結ぶこちらが「本線」で、非電化ながら複線で設置されているのも、かつての石炭が主要産業だった時代を偲ばせます。 それに似あった、大きな駅です。 停車中。 列車はここで、後から石勝線を追いかけてくる特急を退避し、暫く停車の予定です。 しかし、上の方に書いたように、千歳線内のトラブルで後続の特急に遅れが生じているようです。 ここから先も単線ですし、対向列車もやって来ますので、どうしてもここで後続の「スーパーとかち」を待たないわけには行かないようです。 サボ。 元々ホームに降りて歩き回る程度の停車時間はあった追分駅。 加えて追い抜きの特急が遅れていますから、更に時間があります。 まさか予定変更で、ホーム案内もなくこの列車が先に発車することは無いでしょ? と言うことで、列車を降りてホームを散策する人多数です。 もっともかなり寒いので、ずっとホームにいるのではなく、「交代で出たり入ったり」という感じではあります。 列車のサボは、千歳と夕張を往復する極めてシンプルで標準的なものでした。 追い抜き列車。 おおよそ20分遅れで、ようやく釧路行きの特急「スーパーとかち」が到着です。 この特急も追分駅は停車ですから、その発車を待ってようやくこちらも発車することができます。 「スーパーとかち」のキハ261系。 リニューアルされ今はこんな外観でした。 交換列車。 追分を発車し、元夕張線区間(現在は石勝線)に入った夕張行き列車。 さほど走っておらずまだ平地区間ではありますが、次の東追分信号場で、対向の札幌行き特急「スーパーおおぞら」と交換します。 直前に先程の釧路行き特急「スーパーとかち」と交換していたはずですから、この列車にも遅れが出ていること必至です。 単線区間の難しさではあります。 川端駅。 川端駅に到着です。 現在は石勝線に組み入れられていますが、このあたりは元々夕張線として開業した区間。 馴染みのある駅名が続きます。 ホーム。 現在の川端駅ホームと跨線橋。 比較的新しく、石勝線開業後に設置された部分です。 今では1日数本の普通列車しか停まらないとは言え、かつては石炭輸送のメインルートでしたから、各駅の設備はかなり大掛かりです。 客車。 川端駅の片隅、というかよく見ると柵の向こう側ですから敷地外でしょうか。 こんな「客車」が停められていました。 向こう側に見える建物施設の一部でしょうか。 しかしよく見ると屋根上の時計も停まっているようですし、全体が雪に埋もれたままです。 ちょっと寂しい眺めではあります。 動脈。 追分から新夕張(旧紅葉山)に向かう途中。 こんな風景が眺められます。 北海道でもご多分にもれず、あちこちで高速道路が枝を伸ばしている最中。 すでに道東とも繋がっており、こんな山の中でも立派なのは道路の方です。 夕張から札幌市内までも、残念ながら道路利用の方がはるかに便利なのが現状です。 滝ノ上。 滝ノ上に到着です。 旧夕張線の各駅。 魅力的な駅名が続きます。 と言うか、かつてはもっと魅力的な駅名もありました。 「楓(かえで)」「登川(のぼりかわ)」はすでに区間廃止されましたし、「紅葉山(もみじやま)」も「新夕張」に駅名が変わってしまったのは残念です。 雪景色。 雪の中です。 決して「何もない」場所ではないのですが、こんな景色が続きますので、雪が無い時期とはまるで違った眺めが続きます。 初めて訪れたのは40年前の10月。 ちょうど紅葉の時期でした。 新夕張到着。 新夕張に到着です。 かつての紅葉山駅。 石勝線開業と同時期に、駅舎とホームの位置が「すぐ横のちょっと高台」と言う感じの場所に移設されました。 駅名標も、当時は駅名が「紅葉山」、(この写真で)右側が十三里(とみさと)、左側は「沼ノ沢」と「楓」で、今も変わっていないのは「沼ノ沢」だけです。 その「沼ノ沢」駅も、夕張支線の廃止で消えようとしています。 ホーム。 新夕張駅のホーム。 この設備は石勝線開業と同時期に移設されたため、駅舎もホームも新しい(と言っても40年が経過するわけですが)造りです。 すぐ隣に駅舎がありますが、ここを出て下ったすぐの所が、かつての紅葉山駅でした。 駅名標。 新夕張の駅名標等々。 柱に設置の縦長のやつは、一番下にビールのコマーシャルがある、北海道内でお馴染みのスタイルです。 かつて石勝線が開通する前の夕張線。 占冠側は(占冠までは行かず)、次が楓でその次が終点登川の支線。 沼ノ沢側つまり夕張側が本線でした。 石勝線。 新夕張を発車するとすぐに、立派なコンクリート柱のある石勝線と別れ、夕張川沿いに北に進路を変えます。 こちらも重厚な石炭列車が走っていた、ある意味日本の産業を支える路線だったのですが、今ではその面影はありません。 そして、まもなく廃止です。 橋梁。 夕張川と石勝線のコンクリート橋。 特急が高速で走るのを前提に作られた新しい路線ですから、コンクリート橋梁とトンネルが続く立派な軌道です。 登川支線廃止の代替としてこの少し先に設けられていた「新楓」駅。 こちらはひっそりと廃止され、この橋梁から普通列車は姿を消しました。 沼ノ沢駅。 沼ノ沢駅です。 乗客は多数の車内なのですが、本日は途中駅での乗降はあまりありません。 もともとは賑わっていた駅も、廃止直前の雪の中では静かな姿です。 雪原。 広い雪原と木立。 この訪問の少し前にまとまった雪が降ったので、もちろん一番雪深い季節でもあり、どうしても「何もない」と言う印象が残ってしまいます。 実際にはこのあたり沿線は石炭産業でかつて栄えた地域であり、反対側の車窓からは道路と家並みが見えるのですが。 そちらはまた復路の楽しみにします。 清水沢。 清水沢に到着です。 雪の深さはご覧の通りで、駅名標も名所案内も辛うじて文字が読める程度に、それでも特別に除雪されています。 その後ろは、かつては線路が並んでいたはずですが、今は深い雪の下でした。 清水沢風景。 清水沢駅です。 駅舎はホームからはるか向こう側です。 かつてここからは三菱大夕張炭鉱への路線が伸びており、日本で最後の本格営業の炭鉱だったこともあり、比較的遅くまで貨物輸送が行われていました。 駅舎とホームの間に沢山の線路が並んだ駅のレイアウトは当時のままでした。 「鹿」の「谷」。 次は鹿ノ谷。 またまた魅力的な駅名です。 で、清水沢から鹿ノ谷への途中の区間。 突然列車が警笛を鳴らしながら急停止です。 何事かと思っていると、「線路に鹿が進入したので停止した」旨のアナウンス。 右車窓には、驚いたように沢に下りてゆく2頭の鹿の姿が。 (残念ながら、写真のタイミングが遅れてしまいました)。 それはともかく。 「運転指令と連絡を取っている」との案内で、すぐに発車しません。 元々遅れていた列車が、ここでまたまた遅れが広がってしまいました。 鹿ノ谷。 で、谷に下りる鹿は眺めただけで写真には納められないまま、鹿ノ谷駅に到着です。 この駅も乗降客はおらず、閉じられたままのような駅舎でした。 終点夕張。 終点夕張です。 ここに列車で来るのは、おおよそ40年振りの2度目。 と言いたいのですが、夕張駅は2度に渡り路線が短くなる向きに駅が移設されていますので、かつてやって来た夕張駅ではありません。 もっとも、この場所には数年前に車(レンタカー)でやって来たことがありますので、全く初めてと言う訳でもありません。 とは言えゆっくり眺めたかったのですが・・・。 夕張到着時点で列車は大幅な遅れ。 すでに折返し列車の発車時刻を過ぎています。 本日はこの列車で折り返す予定にしておりますので、下車してすぐ乗車待ちの列に並ばない訳にゆきません。 ちょっと残念です。 折返し待ち。 列車で到着した乗客。 折返し列車は車内の入替がありますので、一旦下車して乗車口に並びます。 この分では、乗車が終わるとそのまますぐに発車となるでしょう。 そして乗客の大半がこの列車で折返しのようです。 実は千歳からここまで、大学時代の仲間、広島在住のF氏と同行だったのですが、彼は次の列車に乗車、ということで、ここで分かれます。 私もそうすればいいかな、と言う選択肢と思いもないわけではなかったのですが、万一遅れが生じると、新千歳からの帰路の飛行機に間に合わなくなる恐れがある。 状況を見て止む無く、本当は予定通りに折返し列車に乗車です。 見送り。 夕張では、地元の方が「黄色いハンカチ」を振って列車の見送りです。 映画のシーンを眺めるようです。 駅は夕張市の南の方に移動してしまいましたが、かつての夕張駅の近く。 夕張市街には、映画にまつわる風景が一杯です。 この夕張駅からは、歩くには少々距離がありますが、旧夕張駅跡と合わせ、訪れてみたい場所ではあります。 夕張駅。 乗客の乗車が終わると、やはり列車はすぐに発車。 やはりホームと列車から離れることは出来ず、「列車で夕張にやって来た」証拠は、この駅名標だけです。 そう言えば、40年ほど前に訪れた時には、旧夕張駅に着くほんの少し前。 進行方向右側(東側)に、かつての夕張鉄道の車両が停められていた記憶があります。 場所的にはどのあたりだったのでしょうか。 この時も慌ただしい折返しでじっくり歩き回る暇がなかった夕張でした 帰路鹿ノ谷。 夕張駅での慌ただしい折返しの後、再び先程の駅をひとつひとつ反対向きの辿ります。 復路も往路と同じ列車の進行向き右側の席。 つまり往路とは反対側の景色を眺めることになります。 鹿ノ谷駅。 やはり深い雪の中にはちがいありません。 が、雪の壁の向こう側には何やら電柱建ち並び、色々家並みがありそうな感じです。 車内風景。 車内はこんな感じです。 廃止人気?で超満員化と言うと、そうでもない。 いくらか空席も目立ちます。 少なくとも往路よりは乗客は減っている感じで、やはり夕張で下車して次の列車で帰る人がいくらか居るのかもしれません。 その代わり、往路では見かけない感じだった、いかにも地元の人が乗車されているのがわかります。 トンネル跡。 この夕張線。 かつては重要路線だっただけあって、線路改良で付け替えが行われているようです。 車窓すぐ左側。 廃止されたトンネルの跡が残されていました。 橋脚跡。 続いて古い橋脚の跡も。 すぐ隣に並走していますので、新線切替えと言うよりは、鉄橋の架け替えと言う感じでしょうか。 今列車が走っている鉄橋との両方を眺めてみたい感じがしますが、それは夕張支線廃止後、ということになるでしょう。 南清水沢。 清水沢の写真は飛ばして、南清水沢駅です。 なぜ清水沢を飛ばしたかと言うと、駅設備やかつての設備跡がほぼ反対側の車窓で、こちら側にはほぼ何もなかったからです。 で、南清水沢。 ここでも地元の方の乗降が見られました。 当たり前ですが、定期列車は基本地元の方たちのものです。 それにしてもこの雪の量。 庇は大丈夫でしょうか。 駅名標。 南清水沢のホーム駅名標。 この線に限ったことではありりませんが、どの駅も駅名標の文字だけはきちんと読めるように除雪されています。 むしろそこだけは守っている、と言う感じでもあります。 やはりこちら側。 駅の表側、この雪壁の向こう側には色々並んでいそうです。 踏切。 少し先の踏切から。 道路が並走し、街並みが連なります。 往路では雪原や木立の写真ばかり並べましがた、実際はこのあたり。 新夕張から夕張までの夕張支線沿線は、かつて炭田で栄えた地域。 実際にはあまり途切れることなく集落が連なっているのでした。 沼ノ沢。 沼ノ沢に到着です。 写真の通り、道路も店舗もこちら側に並んでいます。 それほど田舎ではない「普通のローカル線沿線」の風景ではあります。 つまり、鉄道より道路が主力になっている、と言うことではあるのですが。 駅名標。 駅名標。 ここは少し雪が少なめですかね。 と言うよりは、除雪した雪の置き場に余裕があったということかもしれません。 沼ノ沢駅。 沼ノ沢駅です。 上の方の往路の写真にもほぼ同じやつがありますが、そちらは列車通路反対側の車窓から望遠気味にとったやつで、こちらの写真が座席から窓にべったりと付いて撮ったやつです。 ちょっと離れた駅舎ではありました。 隣の国道。 並走する道路は国道452号線。 夕張線とは新夕張と清水沢の間で並走し、そこから先は夕張川沿いに大夕張から芦別を経由し、旭川市は西聖和に至る国道です。 両側欄干部分にこそ雪が積もっていますが、立派な橋は夕張支線と比べると輸送力は大きそうです。 夕張川。 夕張川。 さすがに2月の寒さで、川面は凍りその上に雪が降り積もっていました。 川と思えない景色です。 キロ標。 列車は新夕張まで戻って来ました。 つまり廃線予定の区間はここまでです。 線路際のキロ標の0は、石勝線ではなく夕張支線の開始点を示していました。 発車。 新夕張を発車し、再び石勝線存続区間に入ります。 続いて現れたのは36キロの表示です。 こちらは石勝線の起点、南千歳からの距離を示しています。 列車は遅れのまま、石勝線を千歳に向かいます。 滝ノ上。 滝ノ上です。 ここも写真の通り、比較的新しい造りのホームと駅舎です。 石勝線の各駅。 特急が停車しない駅でも、ホームや駅舎は改築されていました。 駅名標。 滝ノ上の駅名標。 往路の写真にある「新夕張」の駅名標もそうでしたが、「新夕張」の文字はいかにもシールっぽい感じがします。 以前はこの下には、「十三里」の文字があったはずでした。 経営の苦しいJR北海道。 ローカル線の廃止と共に、利用客の少ない駅の廃止も着実に進んでいます。 スノーシェッド。 滝ノ上の出口側。 ポイント部分の上部には、大きなスノーシェッドが覆いかぶさっていました。 特急も多数走る路線ですが単線の石勝線。 駅も無人化が進み、駅間距離が長いため無人の信号場も多数。 ということで、ポイント部を行きから守るスノーシェッドが設けられています。 川端駅。 川端駅です。 往路の写真に反対側のホームがありますが、こちらの駅舎側のホームも比較的新しい感じでした。 駅名標。 川端駅の駅名標。 この駅も、隣の「追分」はいかにもシールを貼りました、という感じです。 しかも比較的新しく設置された駅名標です。 かつては道内時刻表にしか載っていない多数の簡易の停車場があった北海道内路線ですが、今では正規の駅の廃止が止まりません。 こういう進んだ時代ですから逆に停車場を増やして乗客増を図るということも出来そうですが、現実にはそんな生易しい状況ではないようです。 室蘭本線。 列車は平地に出て10分余り進むと、岩見沢方面からの線路と合流です。 現在では輸送量も激減し電化の見込みもなさそうですが、歴史的経緯から複線で真っすぐな線路が伸びる立派な「本線」ではあります。 広い構内。 室蘭本線と合流はしましたが、追分駅のホームはもう少し先です。 そして、広い構内、いや「構内跡」が続きます。 室蘭本線と夕張線が合流する追分駅は、かつて石炭産業の全盛時代は鉄道による石炭輸送の要衝。 追分機関区も設置され、多数の蒸気機関車が配属されていました。 そう言えば、現在の保存機は別として、国鉄最後の蒸機列車が運転されたのもここ室蘭本線、そして旅客列車最後の牽引機を務めたのはC57135号機でした。 (私かいもん4号はテレビニュースで眺めただけでしたが。) 追分到着。 追分駅に到着です。 室蘭本線と石勝線がクロスする駅ですから、駅名標の隣の駅は二つづつ、計4るあります。 上の二つが室蘭本線、下の二つが石勝線と分かりやすいような、しかし線形はクロスしているため、線形とは合っておらず分かりにくいような、ちょっと不思議な感じの駅名標です。 接続列車。 さて、隣にいる室蘭本線の列車。 サボは苫小牧⇔岩見沢となっているため分かりにくいですが、上り岩見沢行きの列車です。 夕張発の列車が始発時点で遅れが生じ、途中駅で長時間停車もなければ回復不可能。 遅れの到着でしたが、この列車は接続待ちしてくれていました。 2両編成の列車。 手前は普通の北海道色のキハ40ですが、向こうのやつは特殊なイラストの車両でした。 ラッピング車。 「特殊なイラスト」と書きましたが、最近は以前の塗装と異なりラッピングで簡単に(それほど簡単だとも思えませんが)仕上げるので、色々複雑なやつがあります。 この車両。 デザインは細かいですが、色調的には比較的おとなし目なようです。 2021年5月1日一部追加 追分駅。 追分駅です。 ホームは2面3線の構造ですが、以前はそれ以外に貨物列車が待機する専用の線もあり、広い構内でした。 向こう側に長い歩道橋が見えますが、現在では手持無沙汰気味の長さです。 ラッピング車。 追分駅での停車時間が僅かなので、先頭側の写真は列車の中から。 車両側面上部には「北海道の恵み」。 そして正面には「道央 花の恵み」のロゴと言うか、ヘッドマークと言うか。 正面もこれまた細かいデザインなのですが、全体を通して眺めると、昔の新湘南型のような塗分けで、ベースの部分は比較的おとなしいのがわかります。 オーバークロス。 石勝線の列車。 南千歳に向けて発車すると、すぐに室蘭本線をオーバークロスします。 両線の列車本数からしても平面交差でも良さそうな気が際ます。 が、相手の室蘭本線が複線でもあり、更に以前(石勝線の計画時)はここから苫小牧行きの貨物列車も多数。 そして構内は本線以外に多数の線路がありました。 後から出来た石勝線南千歳側が高架とされたのは無理からぬことではあります。 南千歳間近。 列車は山間と雪原の中を通り抜け、間もなく南千歳です。 往路と同じく千歳線の上り本線をアンダークロスして、上下線の間に入ります。 頑丈なコンクリート高架橋の千歳線でした。 千歳線。 千歳線の上下本線の間に割り込む形で、南千歳駅に進入です。 駅南側方面へ千歳空港線と石勝線の2線が分岐する南千歳駅。 石勝線からの到着列車は、普通の一部を除き、反対側一番北側の4番線に進入します。 南千歳到着。 南千歳に到着です。 駅名標、上り方(南側)は3つの駅名が並んでいます。 石勝線が開業した後、更に移転した新千歳空港までのアクセス線が開業した結果、こんなことになっています。 ここでの列車乗換の関係で、2番線と3番線の運用が変則的な、南千歳駅です。 終点千歳。 終点千歳に到着。 これで本日の主目的の旅は終わり。 この後は新千歳空港から空路岡山へ。 そして少々時間があるので、ここ千歳駅のホームで少し写真を撮ろうかと思っています。 ホームに屋根はありますが、雪が舞っています。 この列車が再び夕張に折り返す訳ですが、遅れての到着だったため、ちょっと油断した隙に発車。 下車後のホームでの列車は撮影の機会を逃してしまいました。 最後の最後に、ちょっとお粗末かつ残念。 2008年11月再訪(乗車なし) 現夕張駅。 JR夕張駅です。 かつては炭鉱の町夕張の市街地一番奥付近にありましたが、2度の移転で中心部からはかなり手前、新夕張駅側になってしまいました。 新築された駅舎も炭鉱の町のイメージとは程遠く、駅名表示も漢字でなくひらがな。 サブタイトルに「メロンの里」とでもタイトルをつけたほうがよさそうです。 今回2009年は横を遠り過ぎただけでした。 写真は昨秋2008年のものです。 新夕張駅。 夕張線の分岐駅・新夕張駅です。 石勝線開業とともに駅名が「紅葉山」から「新夕張」に変更、それまで夕張線の本線だった紅葉山〜夕張間は、石勝線の支線になってしまいました。 それにしても「新夕張」、つまらない駅名です。 せめて「夕張紅葉山」くらいなら。 紅葉山駅名標。 上の写真の撮影場所背中付近、駅前広場の端にある、紅葉山駅の駅名標です。 隣の駅が沼ノ沢と十三里(とみさと)ということは、夕張本線側ホームの駅名標ですね。 かつての紅葉山駅ホームは、この写真駅名標の後ろ側、現新夕張駅とは一段低い場所にありました。
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